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help リーダーに追加 RSS 源頼朝「天下之草創」書状校異

<<   作成日時 : 2006/04/05 17:10   >>

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 「天下之草創」の語を持つ藤原兼実宛の頼朝書状が初期鎌倉幕府最大の政治文書の一つであることは周知のところです。したがってその確実な文面を得ることは、研究者の強い願いで、この書状を載せる玉葉・吾妻鏡の通行本(前者は国書刊行会刊、一九〇六〜一九〇七年。後者は新訂増補国史大系所収、吉川弘文館刊、一九三二〜一九三三年)の本文に対して、さらに信頼性の高い本文が求められました。その課題にはじめて学問的に答えようとしたのは、義江彰夫氏の『鎌倉幕府地頭職成立史の研究』(東京大学出版会、一九七八年)での論究で、同書は、この書状の歴史上で現実に用いられた姿を忠実に留めていて通常の問題関心で利用するかぎり史料価値で吾妻鏡に勝ることに疑問のない、玉葉所載の同書状について、当時として望むことのできる極限までの手段を尽くして作成されたテキストを収めています。つぎに画期となったのは、玉葉自筆原本から原本成立後間もない時期に直接に写された本として唯一のものでありながら非公開であり、義江氏も間接的部分的にしか利用できなかった宮内庁書陵部所蔵のいわゆる九条家清書本玉葉のこの部分が、同部によって翻刻公刊された(『図書寮叢刊 九条家本玉葉』九、明治書院、二〇〇三年)ことでしたが、これは思いがけなくも間接的ながら主に同じ本に依拠した義江氏のテキストとの間で顕著な差異を示し、同じ本の翻刻のどちらを信じたらよいのか研究者を困惑させることになりました。ただ幸いなことに、その後間もなくその九条家清書本玉葉そのものが公開されましたので、いまではその困惑も解消することができます。そこでここでは、かつてその問題に言及した(「政治手法の西と東 三」『愛国学園大学人間文化研究紀要』6、二〇〇四年、注3)者として、その書状について、同本を写真で諸活字本と照合した結果を報告します。

 闕字・平出を無視し、正俗異体など字体の違いおよびあきらかな誤植による異同を除いて、A九条家清書本・B義江氏著書所収本・C図書寮叢刊本・D国書刊行会本の玉葉四本と、参考としてE新訂増補国史大系本吾妻鏡との合わせて五本を、Dを基準にとりAとの差異が認められる箇所について、照合します。
@ Dの「以行家被補四国之地頭候之条」の「候之」は、Aでは「候」一字となりその右下に小字で「之」が傍書されています。Bでは「之」一字、C・EではDと同じです。◆ここでは、Aの傍書をどう判断し、処理するかが問題になります。書写の際の誤脱を底本によって補ったものか、それ以外か、によって扱いを変えなければなりませんが、その判断を客観的に正確に下すのは一般的にはかなり困難ですから、傍書をその形で保存したうえで校訂者の見解を注記するのが穏当なところでしょう。D・Eの一致に注目すれば、Aの底本にも「之」があった可能性が高そうです。
A Dの「相憑其柄」の「柄」は、A・Bが「栖」、C・EはDと同じ。◆Aの「栖」は字形から疑う余地はなく、「柄」と読むことはできません。Cの読みは誤りです。しかし他方、義経・行家の九国・四国地頭職補任によってかれらが獲得し依存しようとした権益を表す語としては、権限を意味する「柄」はぴったりですが、住居である「栖」は適合しませんから、文脈上採用できるのは「柄」であって「栖」ではありません。結局、復原される本文では、Aの表記は「栖」であることを確認したうえで、意味と諸本の異表記とによってそれを「柄」に改め、その旨を注記することになります。
B Dの「不論庄公」の「公」は、Aだけが「土」、他はDと同じ。◆この「公」については義江氏が検討を加えていますが、間接情報によるものです。写真でAの字形をみるかぎり「土」であることは否定できないと思われます。また、義江氏の参照した宮内庁書陵部所蔵の諸写本には「土」とするものが多いと述べられていますが、それらがAの系統を引くものであれば、それもこの解字を補強します。ただし意味上は諸本に見られる異表記「公」によって改められなければならないものです。
C Dの「任法可被致沙汰」の「被」は、Aでは異筆と思われる小字で傍書、B・Eにはなく、CはDと同じ。◆@と同じくAの傍書の扱いが問題ですが、こちらは字形から見て異筆の可能性が高く、意味上は自敬表現になっていてこの書状での頼朝の言葉遣いからみて不自然ですから、底本にはこの文字はなく、流布本系の諸本の持つ衍字を後人が誤って取り入れた可能性が考えられます。ただし断定は出来ませんので、傍書の形を保存しながらそれが誤って加えられたものである可能性を指摘するのがよいということになるでしょう。Bは傍書を無視し、Cはそれを本文に組み入れたものと解されます。
D Dの「可令洩申右大臣殿」の「令」は、A・B・Cにはなく、EはDと同じ。◆断定はできませんが、底本にはあって、Aが書写の際に誤って脱落させたものである可能性が高いでしょう。

 二つのことを付言します。
 第一。Aの表記を校訂するにあたって、原日記の本文は異なっていたであろうと言うためには、文脈上の要請だけですと主観性を免れず恣意に陥る危険が大きいですが、Aのほかに少なくとももう一つ原日記からの直接写本があって、そこに主張に一致する表記があったことが言えれば、客観性のある有力な根拠が加わることになります。Aの伝来から見て、それが九条家外で書写された可能性は低いのですが、そのことを確証して、流布本系の諸本の祖本がAとは別に原日記から写された本であったことが確かめられれば、その点が満足されることになります。玉葉諸本の系統についての調査の進展が望まれます。
 第二。別稿で述べたように、吾妻鏡の編纂に玉葉からの抄出本が用いられたものとしますと、その抄出本からの忠実な引用だと考えられる吾妻鏡の記事は、玉葉諸本とはまったく系統を異にする玉葉の本文を伝える、玉葉の特異な一本だと見做すことができます。吾妻鏡にも諸本がありますから、必ずしも簡単ではありませんが、その意味で吾妻鏡のそのような部分は、玉葉の校訂に十分に活用する必要があるでしょう。この書状の五個の校異に付した考察の結論がすべて新訂増補国史大系本吾妻鏡の表記と一致していることは、その点での吾妻鏡の有用性を語るものです。またこのことは、吾妻鏡の玉葉に依拠した部分が、吾妻鏡の諸本の性格を知る上でも役立つものであることを示すと考えられます。とくに吾妻鏡諸本のうちで、原資料に基づいて成立したはじめの形に近いものを判別する試料として貴重でしょう。

 参考までに、以上の校異を踏まえて頼朝の「天下之草創」書状を復原しておきます。底本はA(宮内庁書陵部所蔵九条家清書本)です。

言上
  事由
右、言上日来之次第候者、定子細事長候歟。但平家奉背 君、旁奉結遺恨、偏企濫吹候、世以無隠候、今始不能言上候。而頼朝為伊豆国流人、雖不蒙指御定(諚)、忽廻籌筴、可追討御敵之由令結構候之間、御運令然之上、勲功不空、始終令討平候て、伏敵於誅、奉世於君。日来之本意相叶、公私依悦(怡悦)思給候。先不待平家追討之左右、為停近国十一箇国武士之狼藉、差上二人使者久経・国平候て、猶私下知依有恐、一々賜
院宣可成敗之由仰含候了。仍彼国狼藉大略令沙汰鎮候之後、依別仰、重又件使者男被下遣鎮西・四国候、已賜
院宣令進発候了。如此之間、種直・隆直・種遠・秀遠之所領者、依為没官之所、任先例、可置沙汰人職之由、雖令存候、且先乍申事由、尚輒于今不成敗候。何況自余之所、不及成敗候。如近国沙汰、任
院宣可鎮旁狼藉之由、兼令存知候之処、不審之次第出来候て、以義経補九国之地頭、以行家被補四国之地頭候之〔之、底本傍書。Dニヨリテ改ム〕条、前後之間、事与心相違。彼輩各相憑其柄〔柄、底本栖ニ作ル。Dニヨリテ改ム〕、巧非分之謀、令下向候之刻、雖無指寄攻之敵、天譴難遁、乗船解纜之時、入海浮浪、郎従眷属即時令滅亡候之条、誠非人力之所及、已是神明之御計也。而彼両人、其身未出来、晦跡逐電。旁分手令尋求候之間、国々庄々、門々戸々、山々寺々、定狼藉之事等候歟。召取候之後、何不相鎮候哉。但於今者、諸国・庄園、平均可尋沙汰地頭職候也。其故者、是全非思身之利潤候。土民、或含梟悪之意、値遇謀反之輩候、或就脇々之武士、寄事於左右、動現奇怪候。不致其用意候者、向後定無四度計候歟。然者、雖伊予国候、不論庄公〔公、底本土ニ作ル。Dニヨリテ改ム〕可成敗地頭之輩候也。但其後、先例有限正税已下国役・本家雑事、若致対捍若致懈怠候者、殊加誡、無其妨任法可(底本可致ノ間ニ被ヲ傍書ス。オソラクハ衍)致沙汰候也。兼可令御心得此旨給候。兼又当時可被仰下候事、愚意之所及、乍恐注折紙、謹以進上之。一通 院奏料、令付帥中納言卿候了。今度天下之草創也。尤可被究行淵源候。殊可令申沙汰給也。天之所令奉与也。全不可及御案候。以此旨可令〔令、底本ニナシ。Dニヨリテ補フ〕洩申 右大臣殿給之状、謹言上如件。
文治元年十二月六日    頼朝[在判]
謹上 右中弁殿
(礼紙書。これはさきの校異には含まれていません)
  逐言上。
同意謀反人行家・義経之輩、先可被解官追却。夾名注折紙、謹以進覧之。一通院奏料、令付帥中納言卿候也。民部卿成範卿者、令同意彼輩候之由、雖承及候〔候、底本ニナシ。Dニヨリテ補フ〕、依為 御縁人、輒不申左右候。定御計候歟。恐惶謹言。


                                                (龍福 義友)

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