| タイトル |
日 時 |
「縁底」問答
さきに「吾妻鏡の虚構一考」について畏友宮入正夫氏と交した問答を御紹介しました(「「吾妻鏡の虚構一考」問答」)が、「吾妻鏡の虚構一考」に続いて公開した小論「鎌倉時代の「縁底」」については、さらに立ち入った内容の手紙の往復がありました。その往復の中で宮入氏にわたくしが答えたことも、小論を補足・解説するものとして氏以外の方にもなにがしかの意味を持ちはしないかと思われますので、さきの問答と同じく、氏の手紙の骨子と合せてお目にかけることにします。
宮入氏の考えは、「縁底」について小論が示した「鎌倉時...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2008/07/30 16:26 |
「吾妻鏡の虚構一考」問答
畏友宮入正夫氏が拙稿「吾妻鏡の虚構一考──文治二年三・四・五月の公武交渉を素材として──」を読んでこんなことを書いた手紙をくれました。
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2008/05/01 21:01 |
鎌倉時代の「縁底」──変体漢文語彙形成の一側面──
1
藤原兼実の日記玉葉を読んでいて、わたくしにとりわけ印象深かったのが、
旁以無其謂。仍古来未有此例。縦雖無例、有叶物〔物、底本時。国書刊行会本ニ従フ(注1) 〕議事者、随宜立法、是聖代之流例也。於此事者、依無理又無例。縁底忘当時後代之禍乱、可被行古今無例之新儀哉。(玉葉文治元年十二月二十七日条。九条本。下同)
の一節でした。その印象に惹かれてその後繰り返しこの一節をとりあげることになった(注2) のでしたが、そのときにいつも気になったのが文中の「縁底」の語です。この部分での「縁底」の語...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2008/03/17 11:55 |
吾妻鏡の虚構一考補論──文治二年五月六日院宣の信憑性──
本稿の本論「吾妻鏡の虚構一考」での考察がもたらした重要な結果の一つとして、原形を伝える形で同書に引用されている文書に編者によって虚構されたものがある事実の指摘があります。それによってわれわれは、原資料そのままの引用の形をとる同書掲載文書のすべてに、編者による虚構の可能性を想定しなければならなくなったのです。
そうなってきてさしあたって課題になるのは、すでに信憑性に疑念を持たれているものがその想定のもとでどうなるかを追究することです。本論では文治二年五月六日の院宣についてその疑念を表明しまし...
...続きを見る
トラックバック 0 / コメント 1 |
2008/01/07 13:08 |
「文治二年五月の兼実宛頼朝折紙」管見補考(二)─文治二年四月十九日付源頼朝書状の解釈─(未定稿)
文治二年四月十九日付源頼朝書状の解釈(未定稿)
1
本論(注1)で折紙第8項と関連させて、つぎの源頼朝書状を取り上げました(第三章)。そこで原文を引用しましたので、ここでは訓み下して掲げます。
追って言上す。
前の摂政家申さしめ給ひて云く。代々相伝の地に於ては、全く長者分に混ぜず、或いは年貢を割きて神用を経、或いは宿願に依りて仏事に充て、所々相交へて私領を以て始めて祈祷を置く。定まりたる習ひ歟。本主の進止と為(し)て、更に長者の沙汰に及ばず。前々の長者、家領各別の時、分別し置かるる□□...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2007/10/15 10:53 |
「文治二年五月の兼実宛頼朝折紙」管見補考(一)─文治二年三月二十九日付大江広元書状の解釈─
文治二年三月二十九日付大江広元書状の解釈
【若干の加筆をおこない論拠を補いました。(2008年6月21日)】
1
本論(「「文治二年五月の兼実宛頼朝折紙」管見」『鎌倉遺文研究』二〇、二〇〇七年)で折紙第9項と関連させて、つぎの吾妻鏡の記事の引く大江広元書状を取り上げました(第二章)。そこで原文を引用しましたので、ここでは訓み下して掲げます。
去年関東の訴に依り罪科に処せられたる人々の事、刑を宥めらるべきの由、京都頻りに秘計の沙汰有り。就中、前の大蔵卿泰経殊に歎息、...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2007/10/04 01:11 |
吾妻鏡の虚構一考追補2条
先掲の「吾妻鏡の虚構一考(未定稿上)」に、注を2箇条追加しました。その2箇条をあらためて掲記します。
1.「二 文治二年四月二十日条その一」冒頭の引用文のあと第二のパラグラフ中ごろの「「便り」すなわち使者が同一だという」への注:──
「便」が同様に用いられた例としては、「入夜招定長、令奏聞条々子細。昨日光長所示之事、倩案之、以此便、専可述思緒也。仍所思之事等、具以達了。」(玉葉文治二年閏七月三日条)などを挙げることができます。
2.「三 文治二年四月二十日条その二」の第二の引用文(吾妻...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2007/07/27 16:27 |
吾妻鏡の虚構一考──文治二年三・四・五月の公武交渉を素材として──(未定稿 下)
【承前。「吾妻鏡の虚構一考──文治二年三・四・五月の公武交渉を素材として──(未定稿 上)」http://ronfoo.at.webry.info/200704/article_2.html参照。】
四 文治二年四月一日条
【この章は、論旨は変えずに大幅に補訂して論述を整備しました。主要な補訂箇所は緑字で示してあります。2007年12月1日】
四月二十日条にあらわれる吾妻鏡編者の虚構は、編者自身には事実との違いが明瞭には意識されていなかったと思われます。しかし吾妻鏡には「曲筆」として指摘...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2007/06/05 01:50 |
吾妻鏡の虚構一考──文治二年三・四・五月の公武交渉を素材として──(未定稿 上)
【文中と文末に注記を補い緑字で示しました。また、論旨にかかわらぬ若干の補訂があります。2007年12月2日】
はじめに
文治二年の三月から五月にかけては、守護・地頭制度の整備、摂政の更迭、新旧摂政間の摂関家領承継、高階泰経の流罪赦免、源義経・同行家追捕など、その処理の結果が公武関係に長期にわたって影響するであろう問題が立て続けに重要な局面を迎えて、後白河法皇と源頼朝との間に緊迫した交渉が展開され、京・鎌倉間での書状の往復が前後に例がまれなまでに輻輳した時期でした。その結果、この時期の書状に...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2007/04/15 20:47 |
吾妻鏡の修史意識──文治二年三・四・五月の公武交渉を素材として──(未定稿 上)
【改題し、「吾妻鏡の虚構一考──文治二年三・四・五月の公武交渉を素材として──(未定稿 上)」http://ronfoo.at.webry.info/200704/article_2.htmlで掲出しました。】
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2007/04/09 15:43 |
「文治二年五月の兼実宛頼朝折紙」管見 (未定稿 下)
○本稿は、補訂して、『鎌倉遺文研究』二〇(二〇〇七年一〇月)に発表しましたので、ここへの掲出は来年一〇月まで休止します。
(二〇〇七年一〇月三一日 龍福 義友)
...続きを見る
トラックバック 1 / コメント 0 |
2007/02/11 08:54 |
「文治二年五月の兼実宛頼朝折紙」管見 (未定稿 上)
○本稿は、補訂して、『鎌倉遺文研究』二〇(二〇〇七年一〇月)に発表しましたので、ここへの掲出は来年一〇月まで休止します。
(二〇〇七年一〇月三一日 龍福 義友)
...続きを見る
トラックバック 2 / コメント 0 |
2007/01/22 13:42 |
戦闘行動の論理と中世的思考──富士川合戦での戦術対立から──
【定稿】
戦闘行動の論理と中世的思考──富士川合戦での戦術対立から──
【別掲「富士川合戦での戦術的思考の対立(未定稿)」に手を入れて現時点での定稿とし、改題しました】
1 はしがき
学生でも専門家でも、まだ若く、学問の世界にそれが未知の荒野であるという実感を日々痛切に持ち続けている人々は、そのことへの感受性が鈍り、真摯な探究心が衰えてしまった老いた研究者を、傍らにいるだけで初心に立ち返らせてくれます。古くに関心をかきたてられていながら、時間に追われて考えをまとめられなかったさま...
...続きを見る
トラックバック 3 / コメント 0 |
2006/12/16 00:44 |
富士川合戦での戦術的思考の対立(未定稿 下)
富士川合戦での戦術的思考の対立
──平維盛と藤原忠清──
(未定稿 下)
【本稿に手を入れて現時点での定稿とし、「戦闘行動の論理と中世的思考──富士川合戦での戦術対立から──」と改題して別項http://ronfoo.at.webry.info/200612/article_2.htmlとして掲出しました。今後はそちらを御覧ください。】
7
このように見てくると、社会秩序の流動化に伴う治安...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2006/08/19 14:23 |
富士川合戦での戦術的思考の対立(未定稿 中)
富士川合戦での戦術的思考の対立
──平維盛と藤原忠清──
(未定稿 中)
【本稿に手を入れて現時点での定稿とし、「戦闘行動の論理と中世的思考──富士川合戦での戦術対立から──」と改題して別項http://ronfoo.at.webry.info/200612/article_2.htmlとして掲出しました。今後はそちらを御覧ください。】
5
富士川合戦の現地での忠清の戦術的思考が論理的・理...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2006/07/05 19:20 |
富士川合戦での戦術的思考の対立(未定稿 上)
富士川合戦での戦術的思考の対立
──平維盛と藤原忠清──
(未定稿 上)
【本稿に手を入れて現時点での定稿とし、「戦闘行動の論理と中世的思考──富士川合戦での戦術対立から──」と改題して別項http://ronfoo.at.webry.info/200612/article_2.htmlとして掲出しました。今後はそちらを御覧ください。】
1
学生でも専門家でも、まだ若く、学問の世界にそれが未知の荒野であるとい...
...続きを見る
トラックバック 0 / コメント 4 |
2006/06/05 01:26 |
和辻史学の評価をめぐって (二)
【旧稿再録】
和辻史学の評価をめぐって (二)
──方法の実証性の問題再論──
【初出、『中世の窓』13号、1963年、によったが、最小限度の補訂を加え、緑字で示した。また、初出に付されていた傍点はすべて下線に置き換えた】
上横手雅敬様、お手紙(「思想史の困難さということ」『中世の窓』13号、1963年。上横手雅敬『日本中世国家史論考』塙書房、1994年、に再録)拝見しました。ぼくの前稿(「和辻史学の評価をめぐって(一)──方法の実証性の問題──」)が粗野まことに礼...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2006/04/22 22:20 |
和辻史学の評価をめぐって (一)
【旧稿再録】
和辻史学の評価をめぐって (一)
──方法の実証性の問題──
【初出、『中世の窓』12号、1963年、によったが、最小限度の補訂を加え、緑字で示した。また、初出に付されていた傍点はすべて省略した。なお、湯浅泰雄編『人と思想 和辻哲郎』三一書房、1973年、に補筆再録されている】
上横手雅敬様、貴兄は昨年「中世的倫理と法」(日本史研究会編『講座日本文化史』第三巻、三一書房、1962年。上横手雅敬『日本中世国家史論考』塙書房、1994年、に再録)の中で、武...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2006/04/16 11:33 |
源頼朝「天下之草創」書状校異
「天下之草創」の語を持つ藤原兼実宛の頼朝書状が初期鎌倉幕府最大の政治文書の一つであることは周知のところです。したがってその確実な文面を得ることは、研究者の強い願いで、この書状を載せる玉葉・吾妻鏡の通行本(前者は国書刊行会刊、一九〇六〜一九〇七年。後者は新訂増補国史大系所収、吉川弘文館刊、一九三二〜一九三三年)の本文に対して、さらに信頼性の高い本文が求められました。その課題にはじめて学問的に答えようとしたのは、義江彰夫氏の『鎌倉幕府地頭職成立史の研究』(東京大学出版会、一九七八年)での論究で、同...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2006/04/05 17:10 |
吾妻鏡と玉葉(未定稿)補記
吾妻鏡文治元年十月十三日条にあらわれる義経のことばの玉葉の伝える史実との齟齬をどう説明するかは難問です。2項の終わり近くで「編者の曲筆によるとしか考えられない」とした上で「その理由を一義的に確定することはできません」と述べていますが、あるいは曲筆を吾妻鏡編者の仕業と決めてかかったところに不備があったのかもしれません。次項3で述べる玉葉資料の性格を前提とすれば、玉葉の記述の変形に九条家が関与する可能性も出てくるからです。兼実の義経に対する高い評価やこの後の義経の運命への貴族社会一般の同情などが...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2006/01/07 17:52 |
旧稿への補訂
○源頼朝「大天狗」書状小考(『日本歴史』691号)注14の一部をつぎの下線部のように改めます。
十二月三日になるとつぎのような伝聞が玉葉に現れますから、その前後の時期にこのような書状が書かれ、それが日付を失って、あるいは無視されて、ここに置かれた可能性も考えられます。(2)によって編者が大天狗書状を後白河への責任追及であると解し、その解釈に基づいて頼朝宛泰経書状を創作したことが知られている(三二ページ参照)ことを考えると、その編者が能保宛泰経書状をこのように虚構することは不自然です。むしろ...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2005/12/19 14:07 |
吾妻鏡と玉葉
【本稿は未定稿です。決定稿は、拙稿「政治手法の西と東 五 ―なかじきり―」(『愛国学園大学人間文化研究紀要』八号、二〇〇六年)の一部(わたくしのブログ『思考史のために』に「吾妻鏡と玉葉【定稿】」http://histhinkron.at.webry.info/200608/article_1.htmlとして再録)として発表しましたので、今後はそちらにお拠りいただきたく存じます。2006年7月14日】
吾妻鏡と玉葉との関係については、古く八代国治氏がその著『吾妻鏡の研究』(吉川弘文館、一九一三...
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2005/09/25 00:05 |
「隠者の姿勢」
宇津木言行「隠者の姿勢──西行「たはぶれ歌」論──」(『文学』隔月刊6-4,2005)/2005年8月3日14時1分読了
...続きを見る
トラックバック / コメント |
2005/08/11 12:59 |