|
吾妻鏡文治元年十月十三日条にあらわれる義経のことばの玉葉の伝える史実との齟齬をどう説明するかは難問です。2項の終わり近くで「編者の曲筆によるとしか考えられない」とした上で「その理由を一義的に確定することはできません」と述べていますが、あるいは曲筆を吾妻鏡編者の仕業と決めてかかったところに不備があったのかもしれません。次項3で述べる玉葉資料の性格を前提とすれば、玉葉の記述の変形に九条家が関与する可能性も出てくるからです。兼実の義経に対する高い評価やこの後の義経の運命への貴族社会一般の同情などが影響して、九条家側からは義経の非を語ると見える、その言動によって当時の朝廷を震撼させたという記述が、同家の資料作成者によってやわらげられたことも考えられるでしょう。吾妻鏡編者の曲筆としては納得できる理由の考えにくいこの問題に対する、一つの有力な解決策であるように思います。 |
| << 前記事(2005/12/19) | トップへ | 後記事(2006/04/05)>> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2005/12/19) | トップへ | 後記事(2006/04/05)>> |