歴史を考える部屋

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 和辻史学の評価をめぐって (一)

<<   作成日時 : 2006/04/16 11:33   >>

トラックバック 0 / コメント 0

【旧稿再録】
    和辻史学の評価をめぐって (一)
      ──方法の実証性の問題──
【初出、『中世の窓』12号、1963年、によったが、最小限度の補訂を加え、緑字で示した。また、初出に付されていた傍点はすべて省略した。なお、湯浅泰雄編『人と思想 和辻哲郎』三一書房、1973年、に補筆再録されている】
 上横手雅敬様、貴兄は昨年「中世的倫理と法」(日本史研究会編『講座日本文化史』第三巻、三一書房、1962年。上横手雅敬『日本中世国家史論考』塙書房、1994年、に再録)の中で、武士の主従倫理に関する和辻哲郎氏と家永三郎氏との学説のちがいを検討するにあたって、「史料の章句の実証的な理解が思想史の場合、とくに困難だと感じる」とし、この「史料(操作)の検討によっては批判を展開し得ないという」「事情」を「思想史の困難さでもある」と断じられました。その言は、経験的実証的科学としての思想史学にたいして、まさにその経験性・実証性の面で破産を宣告するものであって、思想史の学的研究をこころざすものの決して看過することを許されないものです。しかもそれが単なる一般論的な立言としてではなく、和辻・家永両学説批判の方法的原理として述べられていることは、とりもなおさずそれが今日の日本思想史学の中枢的部分に座を占めるこの両氏の体系そのものの先験性・非実証性の指弾であることを意味します。また実際、貴兄は、和辻学説に関しては、「和辻氏は倫理思想史を論じているのではなしに、自己の倫理思想を述べているのであること、氏の研究は歴史学的なザインの問題ではなく、ゾルレンの問題であることは、否定し難いであろう」と、それをはっきり述べてもおられるのです。家永学説に関してはこのような具体的言明は見当りませんが、先掲第一の引用文が存する以上、貴兄の判断が同じところに帰着していると考えなければならないことは、文脈上明らかでしょう。そして若しそうであるなら、貴兄は家永学説に対して、より明示的に述べられるべきでした。実証史家をもって自ら任じ、和辻氏以上にこのような評価を耐えがたく感じる筈の家永氏の反批判を請うことは、貴兄が研究者としてこの発言をなされたのである限り、貴兄の回避してはならぬ学問的責務であるからです。が、それはともかく、ここでは、問題を明示的な表現のある和辻学説に限りますが、それにしましても、貴兄のこの断言が、もしそれが客観的に妥当することになれば、和辻氏の史学体系、ひいてはそれまでの日本思想史学の全体が、その存在の理由を根底からゆるがされることになるという、それだけの重大さをもっていることにかわりはありません。
  果して、和辻学説の経験的根拠は、それほどに薄弱であるのか、ぼくは貴兄の立言に抗してそれを疑います。いや、むしろ、こう言いましょう。「感じる」「思われる」「単なる言い掛りであろうか」といった、およそ非学問的な用語を頻用しつつ、その発言の重大さをあまり自覚せずに気軽に述べられたように見える貴兄の和辻学説に対するその経験的根拠の否認に、いったいどれだけの経験的実証的根拠があるのか、それを疑う、と。その意味でぼくは、和辻氏は「太平記」の世界を論述の枠外に追い払っていると主張する貴兄の事実誤認を、はなはだ重く見るものです(『日本倫理思想史』 第四篇第二章「神皇正統記と太平記」参照)。それは貴兄が、とり挙げている当の問題についてさえ、和辻学説の該当部分を読んでおられない場合があることを示す以外のなにものでもないからです。貴兄が、理解の困難を訴え、さらにそれを根拠に和辻学の規範学的傾向を導こうとされる部分についてさえ、これを「再読」するに過ぎないという、ぼくなどにはやや不可解な貴兄の告白もまた、これと関連させて考えるとき、貴兄の学問での手続き上の誠実さの不足という重大な疑いへとぼくを連れてゆきます。
  またぼくは、貴兄の立言の内容的な当否の問題とは一応別個に、そのような方法にのみ立つ批判というものの、学術的な存在意義をうたがいます。貴兄の批判の方法は、自己を全くイデオロギー論として構成しようとするものにほかなりませんが、学問・思想を、全くその社会的・政治的機能の側面からだけ規定し評価しようとするイデオロギー論は、後にも述べるとおり、学問・思想批判にあたって欠いてはならないひとつの方法であるにもかかわらず、まさにその方法的特質である、対象の普遍的・客観的側面の捨象の故に、学問の継承されるべき仮説としての性格を認識の埒外に追いやります。が、修正しつつ積み重ねるという側面なしに、いかなる学問があり得るでしょうか。貴兄の批判は、かりにそれがあたっているにしても、学術的批判としては、およそこの上なく不毛なものである、とぼくには思われます。
  貴兄の論のもつこの二つの問題はつまるところ、思想史学は観念的だ、とする貴兄の先験的認識に発するでありましょう。そして、思想史学にたいするこのような認識は、決して貴兄に固有のものではありません。ですから、あるいは、ぼくのこのような激しい論難は、貴兄のはなはだしく意外とされるところであるかもしれません。ここでは、貴兄の和辻史学についての立言の当否を具体的に検討するのが順序ですが、若しそうであるなら、それに先立って、ぼくの「怒り」の根拠について、やや一般的に論じておく必要があります。

  学問は、本質的に、観念の遊戯としての一面をもっています。そして、ぼくの見るところ、学説批判の不毛性は、しばしば、学問のもつこの性格を明瞭な自覚にまで高めないところに発するもののようです。
  学問には、そのあらゆる分野を無例外的に規定する、一個の内在的指導原理があります。その科学、その領域、その主題のもとで、とり扱われなければならぬ限りのすべての素材的要素を、論理整合的に理解させるような、知的に調和した観念世界を構築せよ──これがそれです。学問を学問とする、その手続きの側面からの規定は、この一つをおいて他にはあるまいと考えますが、若しそうであるなら、ある一つの学問的段階で、一つの問題に関して、二つ以上の学説が相互に調和する途なしに並存するという事態が生じるのも、まことにやむをえないことだと思われます。人間の取扱いうる素材的要素が常に有限であることはいうまでもありませんが、そのことは、あたかも、有限の点を結ぶなめらかな曲線の数が常に無限であるように、その上に築かれるべき調和的観念世界の数の複数性を、原理的に不可避のものとして根拠づけるからです。与えられた点を通って、いかに美しい曲線を引くか、いわばその工夫こそが学問であり、またそこにこそ学問する一つのよろこびもまたあるのですが、そのような、知的審美感にのみ奉仕する行為というものが、まさに遊戯の名に価するであろうことは、だれしもが認めるところでしょう。しかも、学問することのこのような性格は、どれほど社会的有効性の高い研究、どれほど実践的意欲に即した研究の中にも、必ずあるものなのです。
  それにしてもこれは、まことにきびしい遊戯です、結果として築かれる観念世界がどうあるべきかに関して、学問内在的な規準を与えることができず、それを全く研究者の主体の中に委ねてしまうところに、学問の遊戯性は胚胎しているわけですが、その結果にいたる道筋は、さきほどの指導原理が認められる限り、一点のまやかしも許さぬきびしい準則のもとにあるといわなければならないのです。すべての素材的要素を調和させよ、という要請は、それまでの研究史への十全の顧慮と、資料状況への徹底した検討とを前提に置くところの、要素間に存するとその学的段階で想定することを許されるあらゆる論理的脈絡の抽出と、さらにそのうちのただ一つの関係の、その研究者にとってただ一つの、他をもって替えることを許されぬ可能性であることの証明、という、人間として耐えうるほとんどぎりぎりまでの知的緊張を要求する作業なしにこたえることのできないものだからです。そして、学問のこの側面を経験科学について見たものが、その実証性といわれるものにほかなりません。
  これが学問のきびしさの半面を構成しています。そして、他の半面を構成するのが、社会的存在としての研究者とその学問との結びつきであって、右のような学問の遊戯性も、この側面の存在によって止揚されることになるのですが、ここでは、この側面にはこれ以上ふれず、学問のきびしさという場合も、もっぱら第一の側面についてのそれに意味を限っておきます。
  若し、一つの問題について相対立している学説が、それぞれに、その内面の知的調和において間然するところがないならば、その間に優劣を定めることは、すくなくともその段階では、学問の埒を超える問題になります。が、今日、学界に見られる論争のどこに、このような知的調和の完成が見出せるでしょうか。学説の対立を世界観・歴史観の対立に帰し、その、いわゆる世界観・歴史観を既存のイデオロギーに直結して、そのイデオロギーの政治的功罪をもって直ちにその学説の当否をまでも断じようとするしばしば見られる思考態度は、今日の学界状況の中では、決して妥当性を主張することのできないものです。それは、さきほど来ぼくが必要以上に強調してきた観のある学問の遊戯性を、その必然に伴っているきびしさから切離して、安易に承認する態度にほかなりません。ときにきくごとく、そのような態度が若し、学問のもつもう一つのきびしさ、学問の実践的把持から出てくるというようにいう論者があるとすれば、それは、学問のもつ根底的な約束をさえ解せず、学問を政治の侍女たらしめて恥じないものというほかありません。学問が、観念の遊戯であることを一つの本質的規定とするものであればこそ、研究者はその遊戯を可能にする手続きのきびしさを、ぎりぎりの極限にまで高めることを、学問そのものによって強く求められているのです。研究者に共通の話しあいの場を供し、学問の客観性を保証する条件として,これがいまのところ可能なただ一つのものであることについては、なんぴとも異議を呈することができません。遊戯性の側面に即して客観性を樹立しようとするこころみにも長い歴史がありますが、それは、いまだ万人を納得させる成果を生んではいないのです。
  思想史学が観念的であることを認めても、それはなんら思想史学を他の諸学にたいして特質づける徴標とはなりえないこと、いわんや、いわゆる実証性がその内に存しえないなどということを含意するものではないこと、むしろ観念性を一方の極とすればこそ、それとのきびしい緊張関係において他方の極に実証性が強力に存しなければならないのだということ、これが右の考察の帰結となります。
  貴兄の論断がまず一般論として、思想史学にたいする激しい誹謗となっていることは、これによって明らかでありましょう。したがって、それが和辻史学に妥当するか否かが、その学的生命を決する問題となる所以も、おのずから理解されるものと考えます。

  論証の実証性は、まずなによりも、そこで意図的に適用されている方法の原理の問題です。それによって得られた帰結が、どれだけの批判に耐えるかは、方法適用の技術に帰着する問題であって、第一義的な意味をもちませんが、ただこういうことは言えるでしょう。帰結の強靭の度の一般的に高い論証には、その背後に実証性の豊かな方法が意識化されて存在する可能性がある、と。そして、まずこの方向から貴兄の批判した和辻学説を検しようとしますと、その主要な内容が、家永氏の批判にもかゝわらず、その後の研究者の追検に耐えて、ほとんどそのまゝ承認されている、という事態に逢着します。貴兄も認めているように、豊田武氏や貴兄のような、全く異質の方法に立脚する考察によってさえそれは根幹において支持されるのですが、より方法的に親近性のある多賀宗隼氏・相良亨氏等の考察は和辻説を支持するばかりでなく、和辻説の帰結が、貴兄によって方法的に否認された、ちょうどその「史料の章句の実証的な理解」の方法を基礎として、家永説の上位に立つことを示しています。これらの事実は、和辻氏の方法の事実上の実証性の高さを示すものにほかなりませんから、ぼくは次には、それが意識化された方法であったことを言えば足りることになります。しかもこの面では、和辻氏ほどに学問のきびしい面を意識的にとらえ、それを自己の学問のうちに怠りなくたたみ込んでいった学者も少いのです。氏は、『原始キリスト教の文化史的意義』の序文で述べています。「この書は著者が六七年前自らの教養のためにヘレニスティック時代の文化に関する文献に親しんだ際の関心にもとづくものである。大正十年雑誌『思想』が創刊せられたとき、著者は当時なお内心に強く動きつつあった右の関心により著作家らしい気軽さをもって、半年間にわたってこの論文を連載した。原始キリスト教に関する数多い、またすぐれた文献の全体をあるいは少なくとも現代におけるこの種の文献の代表的なるものの全体を、謙遜な心によって顧慮しなくてはならぬという研究者としての当然の学問的義務は、この気軽い著作家によっては果されなかった。……著者が学問的義務を怠ったことはこの書から厳密な学問書としての資格を奪い去るものである。この書はさらに精細な考究によって書きかえられなくてはならぬ」と。そしてちょうどこれに対応するごとく、『原始仏教の実践哲学』序文にはこうあります。「この書の著者は仏教専門学者ではない。しかしこの書自身は原始仏教の哲学に関する純学術的な研究である。著者はその微力をもってなし得る限り学術的研究としての厳密な手続きを怠らなかった」と。ここで言われている学術的研究としての厳密な手続きが、具体的にはさきの引用に見られる学問的義務の上に立つ精緻綿密な思索であることは、この書の本文によって直ちに証示することができます。
  和辻学説のもつ論証方法の実証性には、それをうたがうべき何等の理由も発見されません。和辻学説はなによりも先ずその実証性において、即ち資料操作での手続きと、資料理解の方法と、史実構成の論理とにおいて、内在的に批判され克服されるべきものです。そして現在すでに論じられなければならぬ多くの問題を、それらの点に含んでもいます。しかし、貴兄の批判は、そのような点を前もって排除されましたし、他方、ちょうどこの点に即して、きわめて内在的、かつ鋭利に問題を指摘した井上光貞先生の「和辻史学の課題」(『理想』三三七号)があります。そこで、ここから問題を一般的に展開することは、いずれ稿をあらためてこの論文を考察する機会にゆずり、ここでは、貴兄の論旨と交渉する二三の点にふれるにとどめたいと考えます。まず、貴兄が理解を絶するとされた、献身の道徳の中核の問題が、和辻史学の一つの重要な論理に接触します。和辻氏は、まず武士の行為様式の基底にある一つの原理をとりだして、これを献身と名づけたのですが、これは未だ行為の形式を純粋化して取り出したにとどまって、その形式の志向する理念には抽象が及んでいません。倫理学者としての和辻氏が、その段階にとどまることを不十分と考えたことは理解できるところです。ところで、和辻氏が実際に言及しているように、献身の形式をとる諸行為をあらためて検討してみると、そこから自己にとって最も尊貴なるものの放擲という特質を更に抽象してくることができます。ここにいたれば、そこから、そこで志向されている理念として、利己主義の克服、無我の実現をとりだすことには、なんらの論理の飛躍をも要しない筈です。こうして、献身を理念的原理として表現し直すという作業がここで和辻氏によって遂行されたとぼくは解します。それは、実証の枠の中で抽象の階段を一段のぼっただけであって、決して貴兄の言うごとき、規範的要請の移入ではありません。
  ここで和辻氏が自己の求める倫理思想史的史実を行為の様式的原理の段階を超えて理念的原理の域で構成しようとしていることは、はなはだ示唆するところ多い事実だと思われます。津田左右吉氏や家永氏にはこのような態度は見出せません。そして、これはおそらく、和辻氏の倫理思想史にたいする方法的要請と密接に結びついています。和辻氏によれば、「倫理思想とは、人間存在の理法たる倫理が、その実現の過程たる特定の社会構造を媒介として、そこにおいて規定せられる特殊の行為の仕方としてロゴス的に自覚せられたもの」ですが、ここで言われている、倫理が特殊の行為の仕方としてロゴス的に自覚される過程は、言いかえるなら行為様式が内面的に意識化され、理念的に統合されて、言語表現として表出される過程にほかなりません。ここに明瞭に、史実を単なる行為様式としてではなく、倫理のロゴス的自覚として、即ち実践的理念として構成せよという要請が見られます。和辻氏にとって、献身から無我への抽象は、かりそめならぬ学問的意味を持ったのです。が、これは果して、和辻氏の史学だけが持つ論理なのでしょうか。そうではありますまい。思想は、そのまま行為ではありませんし、倫理・道徳は、行為の仕方そのものではありえません。和辻氏の方法は、倫理思想史・道徳思想史に、更には思想史一般にも、一個の重要な範型を与えるものです。
  もとより、このようにいうことは、ここに典型的にあらわれた和辻史学の論理過程のすべてを無条件的に肯定することを少しも意味しません。たとえば「主君は家人のためにおのれの利害を忘れ生命をも賭する」という、「無我」の史実としての構成に不可欠の仮設の一つとなった事実認識についても、既に多くの問題を指摘することができるでしょう。ぼくは、この事実認識には、すくなくとも方法内在的に見る限り誤謬はないと判断しますし、またしばしば言われるようにこれを単なる観念とし理想とすることによってではなしに、和辻氏が求めようとしたところに即して、行為の仕方即ちならわしの理性的把握として理解し承認することができると評価しますが、しかし、それが、そのように解釈すべきものとしては不当に美化されていると多くの研究者の目にうつったという事実もまた軽視できないと考えます。もちろん、ここでも「美化」と見る論者の判断の根拠がまず問題であって、たとえば、そこに、経済的な、あるいは権力的な欲求充足の契機を含まない行為はあり得ない、といった単純な先験的認識が前提されているとすれば、その前提自体を経験的に反駁することによって、容易にその疑惑を解くことが可能です。が、若しその判断が、すゝんで、人間の善意ないし主観的誠実の社会的機能に対する冷徹な評価と結びついて下されている場合には、問題はしかく簡単ではなくなってくるでしょう。ここに、倫理を、社会関係を基盤とするものとしての面からだけ見て、社会関係の中で機能するものとしては見ていない、という、和辻氏の方法の根底にある一つの限界があらわになってきます。倫理がその中ではたらく社会関係のもつ独自の論理、倫理を荷う人間の弱さとそのもつ多面性、そういったものを考慮することなしには、倫理そのものもまた、十分には捉え得られないでしょう。すくなくとも、和辻学説が、その面を欠くことによって、著しくその説得力を弱めていることは、否定することができません。そうした、いわば、イデオロギー論と多面的な人間観との欠如こそ、和辻史学の含む一つの、しかし大きな問題です。
  また更に、和辻氏の帰結である「無我」・「没我」に即しても問題を指摘することができるでしょう。この導出にあたって和辻氏の用いた方法はあくまでも経験的帰納であって、そこに先験性は見られないのですが、それにもかゝわらず、これはやゝ唐突の感を与えます。恐らくそれは、この「無我」・「没我」が一切の歴史性を剥奪された普遍的理念の形で提示されている故であって、「自我」がすぐれて歴史的様態の豊かな概念であるだけに、その否定態としての「無我」・「没我」を無前提で提示することが与える唐突感には、かならずしも偶然ではないものがあると思われます。同一の理念も、それをつつむ世界の心理的・社会的造の変質によって、全く異質のものとして機能するにいたる場合がある──ここのおこる理念の歴史的な開展を、和辻氏はここでは見ようとしていません。しかも、これはここにとどまらず、和辻氏の「日本倫理思想史」という著述の全体をおゝう方法的特質です。時間的により微視的な他の著述にくらべて、同じ著者のこの書が、精彩にやゝ欠けて平板の感を与えるのは、この書ではじめて和辻氏のもつ方法の、いわばそこで操作される個々の概念の歴史的名辞としての精錬の不足という限界があらわになる必然性が生じたことと密接に関連するにちがいありません。
  このように見てきますと、貴兄の「理解を絶する」という評価はあたらないにもかゝわらず、和辻氏の側になにほどかそれにふれる方法的問題が包蔵されていることも、また否定できないところのようです。貴兄は、ここで、和辻氏での実証性の欠如をではなく、実証性の限界を論じるべきだったのです
  以上が貴兄の論旨に交渉する第一点献身の道徳の中核の問題をめぐる考察です。これがやゝ大きくなりすぎましたので、以下は問題の所在の指摘にとどめるほかありません。
  第二に、和辻氏の国家観の問題をとりあげます。貴兄は、和辻氏によって、坂東武者の習いが国家を眼中に置かないとされた点をとらえて、(一)ここで言われている国家は具体的には天皇・朝廷であるが、中世で天皇を国家として把えることは妥当でなく、和辻氏の天皇制的国家観の直接の反映にほかならぬこと、したがって、(二)和辻氏はここで主君と天皇を比較していることになるが、武士でのこの両者の価値の序列は自明であって、比較は無意味であること、の二点を難じておられます。しかし、(一)和辻氏がここで国家の名の下に意味させているのは律令的統治機構と、その集中的表現である天皇または朝廷であって、天皇や朝廷それ自身に国家を見ているのではありません。そして和辻氏が論じようとしている平安末期・鎌倉初中期にあって、政治的統一領域の全域に亙る統治正統性の保持という一点で国家的属性を備えるものは、やはり何人も認めるように律令的統治機構以外のなにものでもなかったのです。したがって(二)武士の忠誠対象が直接の主君に限られ、国家的視野をもたなかったという点も、武士の公共的視野の欠如としてとらえられなければならぬ指摘であることになりますが、かりにこれが、端的な、直接の主君と天皇との比較であったとしても、主従関係の直接性と排他性をここではじめて論定するための、欠くことのできぬ論点となります。もちろん、これは、和辻氏の創見などではありませんが、この理解が自明のものとして成立する学問的手続きは、このようなものだったにちがいないのであって、決して先験的な自明性などというものではないのです。したがって,一般読者にとって、この指摘は、欠けてはならないものとなります。貴兄のここでの論難には、二点ながらいささかいいがかりの観があります。
  後に第三点として、家族倫理にたいする主従倫理の関係にふれておきます。貴兄は、家族倫理を主従倫理に優越するものと見る点で、結論的に家永氏に賛同し和辻氏に反対します。が、和辻氏の論証はここでも、簡潔ながら骨格のしっかりしたものであって、貴兄の論証を、それに先立ってほとんど完全に駁しています。まず氏は、(一)家族的結合が武士の生活に占めた位置の重大さを証して、この指摘による反論の可能性を封じます。その上で、(二)この重大な価値をも否認しうるものとして、主従倫理の存在を証示し、かつ(三)主君への献身が実は家への献身である、とする考え方を周到に否認します。そして最後に、(四)その関係の法的表現を御成敗式目第十条に発見しているのです。その構成の緻密を見るべきです。これに対し、貴兄の論は、わずかにその(二)と(四)にふれるに過ぎません。しかも、(二)では、和辻氏の論拠が、戦陣と日常生活との双方で氏のいう関係が行為の一般的原理となっていることを証しうるものであるのにたいし、貴兄の「保元物語」からの挙証は、その操作と解釈にすでに大きな疑義があるばかりでなく、その解釈をかりに認めたとしても、それは甚だ特殊な限界的状況に属する事例であって、そこに作用する規範は、汎歴史的無条件的な普遍的な人間心情に帰着してしまい、和辻氏の論証をくつがえす力をもちません。同様の対比はまた(四)でも成立します。和辻氏の引証はきわめて適切に、家族的結合の中核にある親子関係において、その著しく緊切な要請が、幕府の基礎となっている全国的主従関係の要請の下にしりぞけられていることを明らかにしているのにたいし、貴兄の提示する事例は、幕府権力が特定の事案に関して親権の不可侵を承認する場合がありうることを示すにとどまり、親権の幕府権力にたいする一般的優越などという、あり得ないことを示すものではありません。そして、貴兄のいう「一般的な解答」は、このあり得ない場合が成立することによってしか与えられないのですから、ここでは、貴兄の論証は、全く無意味に帰していることになります。蛇足ですが、そもそも二つの権力の間の支配被支配関係の決定は、どちらが相手の存立の基盤にたいして生殺与奪の権を掌握しているかにかゝるのであって、その基礎の上にいかなる権限の承認・委譲がおこなわれていようと、それは問題ではありません。したがって、「この場合のように極めて大なる価値と、無に近い価値とを比較することは、それ自体全く意味のないことであってあえて比較を要しない」のです。
  以上ぼくは、和辻氏の論証方法を、巨視的・微視的二様の方法によって検討して来ました。そしてぼくは、その方法が、若干の問題を内に含みながらもその実証性においてきわめて強靭・高度なものであることを証し得たと考えます。この点は恐らく貴兄も御承認くださるでしょう。特に、最後にふれた問題を通じて、その質の高さのもとづくところをやゝ具体的に見極めうることに注意したいと思います。それは、いわば、きわめて緻密な対話的方法です。論証にあたって、その全体的な構成ででも、個々の資料の選択・解釈ででも、あらゆる反論の可能性を検討しつくさなければやまぬという熾烈な態度がここから生れています。直観の人である和辻氏を、その故にともすれば実証的に粗漏な人であるかのように推断する俗見がいかにあやまっているか、それを人はここで痛切に感じるでしょう。氏は、かつて、論理的に考えるということの意味についての質問に、こう答えたといわれます。「他人の考えるところと充分に対決しながら、自分自ら考えてゆくことである」と(深作守文「和辻先生を想う」『理想』三三七)。氏は、みずから述べたこの思惟の格率を、自己の学問的労作の中に十二分に生かし切ったのです。信じたところを実践することにおいて、氏ほどに誠実な学者もたぐい稀であろうと思われます。

  上横手雅敬様、ぼくをこの考察へとさそった貴兄の断言は、和辻哲郎氏の学説に関する限り、具体的に否定しうることが明らかです。考えてみれば、それはあまりにも当然の帰結にすぎません。和辻氏をはじめ、日本の思想史学者のほとんどすべてがその方法的母胎とするフィロロギーと国学との学的伝統のうちにすでに、実証性を不可欠とする方法的原理ははっきりと成立していたのです。貴兄が、和辻史学をも含む思想史学一般のこの方法的基礎をどうして見落されたのか、そのうたがいがぼくの心に、なお解けぬしこりを残しています。が、もはやそれにもこだわりますまい。ぼくは、思想史学に、実証的論理の普遍的存在とその学問的意義とをみずから承認することができれば足りるのです。その目的は、貴兄にあててこの考察を述べることで、十分に達することができました。あとは、貴兄のきびしい反批判を待つばかりです。で、いささか気負いすぎたこの長い手紙も、ここで丸山真男氏の冷静な言葉を引いて結びにします。
  「真理なり美なりはどこまでも経験的に存在する人間や人間集団をこえた客観的価値だということ、そういう前提があってこそ、いかなる立場からの批判でも、その中に真理があればそれを認めて行くという態度が生れる。インテリジェンスというものは、立場に拘束されつつ、立場を超えたものをもっているところに積極的な意味がある」(『現代政治の思想と行動』第三部「肉体文学から肉体政治まで」への追記)。
                                         ──1963年3月25日

【補記】
  見られるとおり上横手雅敬氏の論文に対する批判であり、これには幸い上横手氏の反論(「思想史の困難さということ」『中世の窓』13号、1963年)を得、わたくしがそれをさらに再批判するという経緯がありました。四十余年前の旧稿ではありますが、本文中に補筆して示したように、先年上横手氏の論文集に対象となった論文が再録され、本稿への反論も同時に復刻されましたので、本稿にも需要が生れました。もとの掲載誌は今では稀覯といってよい状態ですので、取敢えずこんな形で御用立てすることにします。
                                         ──2006年4月15日


                                                (龍福 義友)

設定テーマ

注目テーマ 一覧

月別リンク

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文